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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)1811号 判決 1956年9月29日

原告 小林ふみ 外五名

被告 北区小型運送有限会社 外一名

主文

被告等は各自原告ふみに対し金二十万円、原告明に対し金十四万円、原告則子、同弘、同理及び同禮子の四名に対し各九万円宛並びに右各金額に対する昭和二十九年三月十日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告等その余の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用はこれを二分しその一を被告等、他の一を原告等の各連帯負担とする。

この判決は原告等勝訴の部分に限り原告ふみにおいて金五万円、同明において金三万円、その余の原告等においては各金二万円宛を被告等両名に対する共同担保として供託するときはそれぞれ仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は「被告等は各自原告ふみに対し金四十万五千五百五十円、同明に対し金二十八万八百八十九円、同則子、同弘、同理、同禮子の四名に対し各金十九万二千二百二十二円宛及びそれぞれ右金額に対する昭和二十九年三月十日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

「原告等の先代訴外小林萬吉は原告等の肩書住所地に店舖を構えて雑貨商を営んでいたものであり、被告北区小型運送有限会社(以下被告会社と略称する)は小型自動車による貨物運送事業を目的とする資本金二百万円の有限会社であり、被告小野清次郎は運転手として被告会社に傭われ小型貨物自動三輪車の運転業務に従事していたものであるところ、昭和二十八年十月一日午後八時頃前記訴外萬吉は取引先である東京都板橋区板橋町五丁目九百二番地かねたや家具店に註文を受けた衣裳箱五十個を納入し所用を済して帰途に就き同店前の道路(自志村方面至巣鴨方面。路線名称戸田橋線)の車道敷上において自転車のハンドルを巣鴨方面に向け、空リヤカーを索引しつゝ塔乗進発した直后、志村方面より時速二十五、六粁で疾走してきた被告小野の運転する被告会社所有の事業用小型貨物自動三輪車(五〇年型みずしま号六-八二三〇三号)によつてリヤカー後部に追突されその衝撃によつて萬吉は自転車から路上に墜落し自動三輪車の車輪によつて腰部及び下肢を轢かれ、よつて生じた骨盤腔内出血のため翌二日午前五時三十分頃附近の都病院において死亡するに至つたものである。

ところで右事故は全く被告小野の過失によつて招来されたものである。

すなわち苟くも自動三輪車等高速の車を運転する者はその運転に当つては絶えず前方を注視し自車の進行途上に現れる人馬、車輛等を速かに発見し、以て該対象の運動に即応して自車の運転の方向速度等を加減し、接触衝突等の危険を未然に防止すべく殊に自車の進行方向と同方向に進行中のリヤカー附き自転車を追越さんとする如き場合には自転車の不測の方向転換等にも対処して即時急停車その他適宜の措置を講じ、以て接触衝突の危険を避けうるよう速力を緩めるとともに道路交通取締法施行令第二十四条の規定に従い自転車の右側すなわち道路中心部寄りから追越すべきであるに拘らず、被告小野は約十米の至近距離に至るまで被害者萬吉を発見せず、この点において既に前方注視義務の懈怠がありというべきであるが発見後も特に減速措置をとらず、しかも前示交通規則に違反して、先行する萬吉の自転車の左側よりこれを追越さんとしたゝめ、本件事故を惹起するに至つたものである。

しからば萬吉の死亡は被告小野の前記過失に基因するものというべく、しかも右事故は被告小野が被告会社の事業の執行中に発生したものであるから被告小野は直接の不法行為者として又被告会社は被告小野の使用責任者としてそれぞれ萬吉の死亡に伴う損害を賠償すべき義務あるものといわなければならない。

しかり而して萬吉は死亡当時五十四才(明治三十二年九月二十八日生)であり、健康体を有する男子であつたから前記事故がなければ将来少くとも十六年間生存する可能性のあつたことは総理府統計局刑行に係る日本統計年鑑所掲の生命年表に徴して明かであり、従つてその間引続き雑貨商に従事することが可能であつた筈である。

ところで同人の昭和二十七年度における事業所得は一ケ年金三十五万二千七百九十二円で、そのうち生活費を控除しても純収益は年間金十二万円を下らず右の収入額は同人の生存期間中は確実にこれを期待しうるものであるから右残存生存年数十六年間には金百九十二万円の純収益を挙げえた筈であり、これよりホフマン式計算法による年五分の中間利息を控除した残額百六万六千六百六十六円がすなわち得べかりし利益の喪失に対する一時の補償額となる。かくて右萬吉につき被告等各自に対し同金額の損害賠償請求権が発生したものというべきところ、萬吉の死亡によりその妻原告ふみ、その子原告明、同則子、同弘、同理、及び同禮子の六名においてこれを相続することになつたのでこゝに相続分に応じて原告ふみは、金三十五万五千五百五十五円、その他の原告等はそれぞれ金十四万二千二百二十二円宛の賠償請求権を被告等各自に対し承継取得するに至つた。

つぎに原告明は先代萬吉の葬式費用として金八万八千六百六十七円を支出しているのがこれも右先代の死亡により原告明の被つた損害であるから原告明は被告等各自に対し同額の損害賠償請求権がある。

又萬吉の妻原告ふみ(明治四十一年三月二日生)は昭和三年五月九日同人と婚姻しその間に左記五子を挙げているものであり、原告明(昭和四年三月二十三日生)はその長男であり、先代萬吉の跡を継いで雑貨商を営んでおり、原告則子(昭和七年九月十二日生)は長女で、現在家事に従事しており、原告弘(昭和十一年十二月二十七日生)は二男で高等学校在学中、原告理(昭和十五年九月九日生)は中学校在学中、原告禮子(昭和二十一年二月二十五日生)は小学校在学中であるが右萬吉は死亡当時なお働き盛りで原告等の夫乃至は父として名実共に物心両面における一家の柱石であつたから同人の死亡により原告等はいずれも甚大な精神的苦痛を被つたものであつて右苦痛は各原告につき金五万円をもつて慰藉せらるべきである。

よつて原告等はそれぞれ被告等各自に対し冒頭に記載したとおりの金額及びこれに対する本件訴状が被告等に送達された日の翌日である昭和二十九年三月十日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。」と陳述し、被告等の抗弁に対し「本件事故の発生につき被害者萬吉に過失があつたとの被告等の主張事実はこれを否認する。すなわち、萬吉は巣鴨方面に引返すため前記かねたや前の車道の端に志村方面に向けて駐車せしめて置いたリヤカー附き自転車を道路に沿い志村方面に向け手押して最小限の弧を描いて巣鴨方面に方向を転換し終り乗車して走り始めた直后後方より被告小野の三輪車に追突されたものであつて、萬吉の自転車が右被告の進路を妨げT字型になつた恰好で本件事故が発生したものではなく、又萬吉のリヤカーと電車軌道との間には被告小野の三輪車の通り抜けられる程度の間隔は十分あつたに拘らず同被告は交通規則に違反し萬吉の左側から追越そうとしたものであるから過失の責任は被告小野にあつても萬吉にはない。又被告会社は被用者被告小野の選任監督につき過失がなかつたとの被告会社の主張事実もこれを否認する。すなわち被告小野は昭和二十八年八月一日に自動三輪車の運転免許を得たばかりで運転技術は当時未熟であつたに拘らず被告会社は同年九月初旬同被告を採用後一ケ月足らずで本件事故を惹起せしめたものであるから、被告会社に選任監督上の責任がなかつたということはできない。」と述べた。<立証省略>

被告等訴訟代理人は請求棄却の判決を求め答弁並びに抗弁として、

「原告等主張事実中原告等主張の日時場所において原告等主張の如き小型貨物自動三輪車とリヤカー附き自転車との衝突事故が発生し、これがため右自転車に塔乗中の原告等先代萬吉が原告主張のとおりの傷害を受け右傷害が原因で原告等主張の日時場所において死亡したこと、被告会社の目的資本が原告等主張のとおりであること及び被告小野は運転手として被告会社に雇われ被告会社の業務の執行として右小型貨物自動三輪車を運転中本件事故が発生したものであることはこれを認めるが被告小野には原告等主張の如き注意義務違反の事実はない。すなわち(イ)被告小野は本件事故発生に際し、原告等主張のような前方注視義務違反はなかつた。本件事故発生現場は志村方面より現場に差掛かる十数米手前から進行方向の左側に向つて二十五、六度、カーブしており、現場附近は道路の左側であるため、右屈折点より遡つて志村寄りの地点から見透しは全く不良であり、被告小野は十分前方を注視しつゝ前進したのであるが右のような地形である上に加えて当夜は暗夜で現場附近は照明も暗くかつ雨が降つていたゝめ被告小野の操縦していた自動三輪車のウインドウ、シールドが曇り勝ちであつたので被告小野はこれを手動式クリーナーで拭いつゝ進行するという悪条件にあつたが被害者萬吉を約十米手前で発見しているのであり、右のような状況の下では何人を以てしても十米以上の距離において被害者萬吉を発見することは困難であると認められるから被告小野に前方注視義務違反はなかつたというべきである。(ロ)又被告小野に減速義務違反はない。なんとなれば被告小野は夜間相当の雨量の中を前記のような悪条件で進行するのに鑑み現場に差掛かる以前から既に制限許容時速三十二粁を二十五、六粁に減じ何時にても急停車その他適宜の措置をとりうるよう万全の措置を講じていたものであり、殊に萬吉を発見した際は警笛を鳴らし速度を更に時速十六、七粁に減速しているからである。(ハ)さらに又被告小野に道路交通取締法施行令第二十四条違反の事実はない。原告は萬吉がリヤカー附き自転車に塔乗して巣鴨方面に向い進発した直後被告小野の自動三輪車が左側よりこれを追越そうとして追突した旨主張するが右は事実に反する。すなわち本件事故発生直前被告小野が萬吉を約十米前方において、発見した時萬吉は志村方面に向い恰も道路を斜に横断するような姿勢で被告小野の車の進行方向に対し斜に向合つて進んできたため、被告小野は直進すれば萬吉の自転車に正面衝突し又右側に避譲するには既に萬吉の自転車の先端が道路中央の都電軌道に接近していたため、反対方向から進行してくる車馬に折触衝突する危険があると直感したので止むなく車道の左側に萬吉の自転車を避けようとしたのであるが、萬吉の自転車は被告小野の三輪車が極く接近してから急に巣鴨方面に方向を転換し始めたため被告小野の車の進路をT字型に遮断する恰好となつたものであるから道路交通取締法施行令第二十四条に所謂追越の場合に該当するものではない。仮に追越に該るとしても前述のとおりの状況の下では被告小野が右側に出るとすれば都電の軌道を越えねばならず、それは反対方面から進行してくる車馬との衝突、接触の危険を伴うから萬吉の自転車との衝突を回避するには左にハンドルを切る以外に方法はなかつたのであつて、右は前記法条第一項に所謂『止むをえない』場合に該当するものであるから結局被告小野には前記法令違反の行為はない。

以上のとおり被告小野には何等の過失なく従つて本件事故はむしろ萬吉の過失乃至は不可抗力によるものであるということができる。

すなわち前段に述べたとおり被害者萬吉は志村方面に向い道路を斜に横断する如き態度を示したので被告小野は右萬吉の行動に順応して自己の車の速度を減ずるとともに車道の左側にこれを避譲しようとしたのであるが被告小野の車が萬吉に極く近接したとき意表外にも萬吉は急遽方向転換を始め自転車とリヤカーの車身で被告小野の三輪車の進路を殆んど左側の車道(都電軌道よりかねたや寄り)一杯に遮るような恰好になつたので被告小野は急停車の応急措置をとつたが、さらに左方に十分ハンドルを切つて接触を回避する余猶を失うとともに雨に濡れたアスフアルト道路のためタイヤーがスリツプして止むをえず本件接触事故を起したものであるから、右は被告小野の過失ではなく被害者の軽卒な行動と自然現象たるタイヤーのスリツプを直接の原因として誘発されたものとみるべきである。

仮に右主張が認められず本件事故が被告小野の過失に基くものであるとしても、本件事故の発生については被害者萬吉の過失の競合があることを否定できない。すなはち道路交通取締法第二十一条、同法第二十三条によれば駐車又は停車は他の交通の妨害とならないようにできる限り車道又は道路の左側端に進行の方向に向つて行わなければならない定めとなつているのに、被害者萬吉は事故現場附近かねたや前車道に駐車するに際し逆に志村方面に向つて駐車し帰路に就くに当つてもその場で最小限の弧を描いて方面転換をなすことをせず志村方面に向つて斜に道路を横断する如くに進行した後、被告小野の三輪車が至近距離に迫つたところでその進路をT字型に遮るような恰好で巣鴨方面に向つて方向転換を計つたものであるからこの点において過失の責を免れえないのみならずさらに遡つて被害者萬吉は被告小野の車のヘツドライト及び警笛、エンジンの爆発音等により当然同被告の車が志村方面から進行してくることを認めえた筈であるからこれを遣り過し又は十分これに進路を譲つて方向転換をなすべきであつたに拘らずこれらの事故防止の措置をなさず漫然前記の如き処置に出たことはこれまた同人の過失たるを失わない。従つてこれらの過失は所謂過失相殺にいう相殺の用に供せられるべきである。

次に本件事故に伴う損害額に関する原告等の主張事実中、本件事故がなければ萬吉は将来なお十六年間すなわち七十才まで生存する可能性が存したことは争わないが、同人の昭和二十七年度における事業所得及びその内の純収益が原告等主張のとおりであること従つて萬吉が右十六年間に原告等主張のごとき純収益をうべかりしことは知らない。仮に萬吉の得べかりし純益が原告等主張のごとくであつたとしても、同人の収益は公務員、会社員等のそれと異り一身専属的なものではなく同人の死亡に拘らず同人経営の雑貨商営業はその店舖とともに同人の家族に引継がれ企業自体として経営者の交替に拘りなく利潤を生んで行くものであるから萬吉の失うところはその家族の得るところに帰し従つて結局において利益の喪失ありということはできない。原告明がその主張のとおりの葬式費用を支出したことは知らない。原告等がその主張の如き身分の関係に基き先代萬吉を相続したこと、原告等がその主張のごとき地位境遇にあること及び原告等の年令は認めるが慰藉料額は争う。

仮に被告小野に過失による本件事故の損害賠償責任があるとしても、被告会社は同被告の選任監督について左記のとおり欠けるところがなかつたから使用者としての賠償責任はない。すなわち、同被告は郷里の高等小学校を上成績で卒業し資性温厚で注意深く研究心強く骨身を惜まずその実家は田畑合計二町歩を有し生活に不安なく昭和二十八年八月一日埼玉県において自動三輪車の運転免許を得た経験者で酒は嗜まぬという運転手としての好適格を持つていたので雇入れたものであり、雇用後は被告会社の事実上の経営者である訴外矢島亀五郎方に住込ませ十分休憩と睡眠とをとらしめ法規を遵守し細心の注意を以つて運転すべきことを日夜指導してきたものである。」と陳述した。<立証省略>

理由

原告等主張の被告小野の運転する被告会社所有の自動三輪車が原告等主張の日時場所において原告等先代萬吉の乗つていた自転車のリヤーカーの後部に衝突し、萬吉はこれがため路上に振落され、かつ右三輪に轢かれて原告等主張のとおりの傷害を受け、その結果原告等主張の日時場所において死亡するに至つたことは当事者間に争がない。

よつてつぎに右事故の発生につき被告小野に過失の責任ありや否やの点について判断するに、まず成立に争のない甲第九号証、同第十号証、証人清水政義、同高須実の各証言、被告小野清次郎本人尋問の結果並びに検証の結果を綜合すれば、本件事故発生現場は志村方面より巣鴨方面に通ずる電車通り(路線名称戸田橋線)の都電板橋五丁目停留所際かねたや家具店前の左側(巣鴨方面に向つて車道上にあり、右道路は中央に幅員五・七米の軌道帯、その両側に各幅員五・六米のアスフアルト鋪装車道、その外側に各幅員四・二米の歩道を存し、現場より志村方面に向い直線コースにて約三十米遡つた地点より同方向に向い約二十五、六度の角度で右方にカーブしており、現場附近の道路両側には商店が軒を並べ、歩道上車道寄りには約十米の間隔を置いて高さ約二間の街燈が設置され、さらにその間を縫つて釣七、八米置きに高さ三間余の街路樹(銀杏)が植樹されており、前記カーブ地点を経て直線コースに入るまでは右街路樹のため視野を妨げられ、志村方面よりの現場の見透しは不良であり、又右街燈は歩道を照射するようになつているため、附近一帯商店街であるとはいえ夜間車道上は割合に暗いこと、当夜は小雨が降つていたため前方の見透しは若干悪く、又路面のアスフアルトは雨に濡れ、そのためタイヤーのスリツプするおそれがあつたこと、被告小野は志村方面より板橋五丁目を経て巣鴨方面に向うべく、前記電車通りを時速二十五、六粁の速度で自動三輪車を運転して本件事故現場に差掛つたのであるが、前方約十米の距離に至つて始めて被害者萬吉を発見したこと、被害者萬吉は、かねたや家具店前の左側(巣鴨方面に向つて)車道上歩道寄りに志村方面に向けて駐車させておいたリヤカー附き自転車を手押して向つて左斜めに志村方面に向け、同車道上において弧を描いてハンドルを巣鴨方面に立直し乗車した直後リヤカーの後部左側に被告小野の三輪車の右前部を追突せしめられたものであること、被告小野は被害者萬吉を発見したとき、同人は志村方面に向け斜めに道路を横断するものと予測しこれを自車の進行方向の左側に避譲通過せんとし時速十六、七粁に減速したのみでそのまゝ進行を続けたが、萬吉が前示の如き方向転換を始めたので驚いて急遽急停車の措置をとり、ハンドルを左に切つたが及ばず、遂に余勢を駆つて追突するに至つたものであることを認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで自動車等の動力車を運転する者は、それが高速かつ相当の重量を有するのゆえに一度運転を誤るときは他人の生命、身体財産等に対し甚大な損害を及ぼすべきことに鑑み、細心の注意を以てその運転に当るべく、運転中は絶えず前方を注視し、自車の進行途上に現れる人馬、車輛等を速かに発見し、以て該対象の運動に即応して自車の運転の方向速度等を加減し、事態の緩急に応じ、場合によつては急停車又は最大徐行に移る等適宜の措置を講じ、接触衝突等の危険を未然に防止すべき注意義務あるものというべきところ、前段認定の事実によれば、本件事故現場附近の車道は夜間割合に暗くしかも当夜は小雨が降つていたため前方の透視が昼間晴天の場合に比し妨げられていたことは明かであるが、附近一帯は所謂商店街であるから、軒並店舖の屋内外燈の間接照射によつても、運転技術上特に甚だしき透視不良の状態にあつたとは認め難く、しかも被告小野は現場の約三十米前方において既に直線コースに入つているのであるから、細心の注意を払えば、十米というが如き至近距離に至らざる以前において被害者萬吉を発見しえた筈であり、このことは証人高須実の証言及び被告小野清次郎本人の供述の口裏に徴してもこれを裏付けうる。而してもし被告小野において右の如き至近距離に至らざる以前に被害者萬吉を発見しえたとすれば、十分の余裕を以て萬吉の行動を観察し以て同人の方向転換に対しても適宜の措置をとりえたであろうことを想像するに難くない。しからば被告小野はこの点において既に前方注視義務の懈怠ありというべきであるが、仮に前方注視義務の懈怠ありとするも、適宜の事後措置によつて事故の発生を未然に防止しえた場合には結局責任なきことに帰するから、以下この点について考えてみるに、前段認定の事実によれば、被告小野は約十米前方において被害者萬吉を発見すると同時に時速二十五、六粁より十六、七粁に減速したが、萬吉が斜めに道路を横断するものと軽信し、これを左側に避譲通過せんとしてそのまゝ進行したため、萬吉の前示方向転換に遭い急遽急停車の措置をとり、ハンドルを左に切るも及ばず、余勢を駆つて追突するに至つたことが明かであるが、そもそも十米というが如き至近距離において自車の進行途上に始めて対象を発見したような場合には、とつさに該対象の行動を適確に察知することは困難と認められるから、かゝる場合には運転者たるものはよろしく最徐行、場合によつては急停車の措置に移り、対象の動向を見極めた後次の行動に移るべきであるに拘らず、被告小野がかゝる措置をとらず、時速十六、七粁に減速したのみで漫然進行を続けたことは、明かに適宜の事後措置に欠けるところあるものとしてこれまた被告小野の過失たるを失わない。殊に当夜は雨のため路面のアスフアルトが濡れ、タイヤーのスリツプする危険があつたのであるから、被告小野としては被害者萬吉を発見すると同時に直ちに右の如き安全措置に出ることが要請されるわけである。

なお原告等は被告小野に追越に関する交通規則違反ありと主張するが、前記認定のとおり本件は追越の場合に該当するものとは認められないから原告等の該主張は採用しえず、又被告等は当時の状況の下にあつては何人を以てしても十米以上の距離において被害者萬吉を発見することは困難であつたから被告小野には前方注視義務懈怠はなく、本件事故は全く被害者萬吉の意表の行動とタイヤーのスリツプという不可抗力に基因して発生したものであるから、被告小野に事後措置に関する注意義務の懈怠もない旨抗争するが、前記認定のとおりであるから、被告等のこれらの主張は排斥を免れない。

以上認定のとおりとすれば本件事故は被害者側の過失は暫く措き少くとも被告小野の過失に基いて惹起せられたことは争いえないから被告小野は右事故によつて発生した損害を賠償すべき義務あり、又被告小野が被告会社に雇われている運転手であり、本件事故が被告小野によつて被告会社の業務の執行中に惹起されたことは当事者間に争ないところであるから、被告会社は被告小野の使用者として右損害の賠償責任を免れえない。

被告会社は被用者被告小野の選任、監督につき過失なしとして使用者責任を否定し、証人矢島亀五郎の証言及び被告小野清次郎、被告会社代表者正木長次の各本人尋問の結果を綜合すれば、右免責事由として被告会社の主張する事実は凡てこれを認めるに足るが、右認定の事実の程度を以ては、未だ選任上の過失を否定しうるに止まり、監督上の過失をも免れしめるものではない。なんとなれば民法第七百十五条の使用者責任の規定は一種の報償責任的な意味をもつものと解するのを妥当とするから、その免責事由たる選任監督上の注意については特にその要件を厳格に解することを必要とするところ、本件にあつては被告小野が自動三輪車の運転免許をえたのは昭和二十八年八月一日、被告会社に採用されたのは同年九月初旬、本件事故を惹起したのは同年十月一日で、事故の発生と免許獲得との間には僅かに二ケ月の期間を存するに過ぎず、従つて一般的にみて被告小野は当時未だ十分に運転技術に習熟していたとはいい難くかかる運転者に対してはその使用者たるものは、単に一般抽象的な訓示指導等を与うるのみを以ては足らず、具体的の個々の運転につき個別的に必要十分なる注意を与えたものと認められない限り事業上の監督につき過失なしということをえない。しかるに本件にあつては、被告小野の運転につきかゝる個別的な注意が与えられたとは認められないから、被告会社は結局賠償責任を免れえない。

そこで進んで損害額の判断に入るに、まず成立に争のない甲第二号証及び原告小林明本人尋問の結果によれば、萬吉の昭和二十七年度における事業所得は一年間に金三十五万二千七百九十二円でありその内生活費等を控除しても純収益は年間金十二万円を下らず、しかもこの収入は将来も確実に期待しうるものであることを窺うに足り、又本件事故による横死がなかつたなら、萬吉は将来なお十六年間生存する可能性の存したことは当事者間に争ないところであるから、萬吉は右期間内に総計金百九十二万円の純収益を得べかりしところ、本件事故による死亡のためこれを喪失するに至つたものである。今右金額に対しホフマン式計算方法を施し年五分の中間利息を控除すると残額は金百六万六千六百六十六円となるが、同金額がすなわち一時請求の場合の補償額に該る。かくて右金額の損害賠償請求権が萬吉につき発生したのであるが、萬吉が死亡し、原告等においてこれを相続した結果(原告等と萬吉との続柄、従つてその相続関係は当事者間に争がない。)、原告等はその相続分に応じ、原告ふみにおいては金三十五万五千五百五十円、その余の原告等においては各金十四万二千二百二十二円宛の範囲で、右賠償請求権を分割承継取得したこととなる。

右に対し被告等は前記萬吉の雑貨商経営による収益は一身専属的なものではなく、同人の死亡後も同人の家族等によつて継続して挙げうべきものであるから同人はこれを喪失したということをえない旨抗争するが、個人企業は会社企業等と異り、経営者個人を離れて別個独立の存在をもつものではなく、あくまでも経営者個人に従属するものであるから、経営者個人がその企業を通じて挙げうる利益はすべて経営者個人に帰属し、将来の得べかりし利益の喪失についてもその理を異にしない。もつとも老舖等の固定した基盤を有する個人企業にあつては一見経営者の変更交替等にかかわりなく企業が継続して行くようにみえるけれども、この場合においてもなお右企業は経営者個人の完全支配に服しているものであつて、従つて結局においては経営者個人の手腕、力量に依存しているというに妨げないから、前主の喪失した得べかりし利益と後主の挙げうる利益とは必ずしも重複するものということはできない。従つて被告等の右主張はこれを採用しえない。

つぎに原告小林明本人尋問の結果及びこれにより各真正に成立したものと認めうる甲第三乃至第八号証、同第十一乃至第十四号証を綜合すれば、原告明は萬吉の葬式費用として総計金八万八千六百六十七円を支出していることを認めるに足るから、原告明は被告等各自に対しそれぞれ右費用の賠償を求めうるものというべきである。

なお原告等は萬吉の妻又は子として働き盛りの夫又は父を失い、経済的にも精神的にも絶大な打撃を蒙つたことは、本件口頭弁論の全趣旨に徴してこれを窺うに難くなく、当事者間に争のない原告等の地位、境遇その他の事情を参酌すれば、原告等が右精神的苦痛に対する慰藉料として各自被告等に対し金五万円宛を請求しているのは正当である。

よつて最后に被告等の過失相殺の抗弁について按ずるに、前記認定の如く本件事故現場附近は志村寄り約三十米の直線コース地点に入るまでは、カーブのため志村方面よりの見透しは不良であり、かつ当時は夜間、しかも小雨の降つていた際であるから、被害者萬吉としては車道上における自転車の操作については特に慎重を期し、志村方面より進行し来るべき自動車自動三輪車等の有無、その運転の状況等を仔細に確かめ、危険のないことを十分に見極めた後に方向転換をなすべきであつたに拘らず、萬吉は、かかる注意を払わず、漫然前記認定の如き態勢でしかもリヤカーを索引しつつ自転車の方向転換を計つたため、被告小野の過失を誘発し、以て本件事故を惹起せしめるに至つたことを窺うに難くない。すなわち、もし萬吉において右のような注意を払つていたとすれば、被告小野の操縦する自動三輪の爆音、ヘツドライト等によつて当然その近接を感知しえた筈であり、しかるときは被害者萬吉としても右三輪車の前進途上を遮つて旋回する等の行為に出ることなく、他の危険の伴わない転換方法をとるか、又は右三輪車の通過を待つて旋回を計る等の措置に出たであろうと想像するに妨げない。しからば本件事故の発生については被害者萬吉においても責の一半を免れえないものといわなければならない。(なお萬吉が自転車を道路の逆方向すなわち志村方面に向けて駐車させて置いたことは行政規則違反にはなるが、本件の場合特に同人の過失として取り上げるには当らない。)

而して右の事情を斟酌すれば、原告等の被告等に対する損害賠償請求権は原告ふみについては前記合計金四十万五千五百五十円の内金二十万円、原告明については前記合計金二十八万八百八十九円の内金十四万円、その余の原告等については各前記合計金十九万二千二百二十二円の内金九万円宛までそれぞれ減額し容認するのを妥当とする。

しからば原告等の被告等に対する本訴請求は右に容認した金額の限度及びこれに対する本件訴状が被告等に送達された日の翌日たること本件記録上明かな昭和二十九年三月十日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各自支払を求める範囲においては理由あることが明かであるからこれを認容すべきも、爾余の部分は失当として棄却を免れない。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 古山宏 磯崎良誉 兼子徹夫)

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